銀河英雄伝説 ON THE WEB

Interview

第1回 田中芳樹(原作)「1996年 第4期制作時インタビューより抜粋」

ほんのひとつのエピソードとして幕を開けた『銀河英雄伝説』

 1982年に第1巻が刊行された『銀河英雄伝説』。その後、小説は7年、1988年にスタートしたアニメーションも10年以上続く大河シリーズとなった。アニメ化が始まって8年後の1996年、偉大な伝説の産みの親である田中芳樹が、その誕生のきっかけを語った。



――『銀河英雄伝説』を書くきっかけは、どんなことだったのですか?

 子供の頃からいろいろ読んでいた“スペースオペラ”を、そのうち自分でも書いてみたいと漠然と思っていました。1978年に、雑誌『幻影城』(株式会社幻影城 1975〜1979年)の新人賞を頂いたときに、『幻影城』育ちの作家たちを何人か集めて、長篇の書き下ろし競作をするという企画がありました。そのときに、僕は“スペースオペラ”をやってみないかと言われて、念願がかなったわけです。『銀河のチェスゲーム』というタイトルを考えて、その物語の時点に至るまでの何百年かの架空の銀河系の歴史を書きました。その中に、過去のエピソードのひとつとして、ラインハルトとヤン・ウェンリーの2人が対立して・・・、という話があったんです。そして、全体で100枚程書いた頃に、多くの人がご存じかと思いますが、『幻影城』が休刊になってしまいまして・・・(笑)。その原稿はそのままになってしまいました。その後、本当に偶然から徳間書店の編集者に声をかけて頂いたのです。そのときに、もう3年ぐらい前に書いたままになっている長篇があることを思い出して、お見せしました。そうしたら、本篇よりもむしろ、それに先立つ銀河系史、概略のようなものの方が面白いから、そちらを歴史小説風に書いてみましょう、ということになったのです。実は僕も、最初に書いたときに、結構そこに力を入れて書いていたので愛着があって、自分でもいっそこちらの話をやってみようと思ったんです。そうして、タイトルも決めないままに書き始めたのが、『銀河英雄伝説』ということになります。

――アニメ化の企画が立ち上がったときは、どう思われましたか?

 原作の第8巻あたりを書き上げた頃だったと思いますが、そういう企画が来ているらしい、ということを担当編集者から伝えて頂いた記憶があります。「へえ・・・」と言って黙っていたら、「どうしますか?」と聞かれました(笑)。「お会いしてお話は伺いたいけど、実現するはずないでしょう?本気じゃないと思いますよ」とか、そのようなことを言ったのではないかと思います。その後、もう、すぐという感じで、田原(正聖)プロデューサーからお電話を頂いて「是非やりたいんです」と言われたときに、さすがに「本気ですか?」とまで失礼なことは言わなかったと思いますが、「あ、冗談じゃなかったんですね」ぐらいのことは、どうも言ったようですねえ(笑)。「本気」だということで、お目にかかることになりましたが、実際にお目にかかっても、僕はまだ、こういう話というのはどこまで実現するものだろうかと全く信じていませんでした(笑)。あるひとつのエピソードで1時間くらいのものを作るのかと思っていましたら、「最初はそうするけれど、最終的には全篇百何十話のアニメにしたい」と聞いて、ますます現実感がなくなりましたね(笑)

――田原プロデューサーの印象は?

 お会いしてみて、「本気で考えていらっしゃるな」ということは分かりましたし、熱意に押されました。僕はそれほどシニカルな人間ではないと思うのですが、その当時は、本当に実現するとは思っていなかったです。「いずれ全話をアニメ化したいです」と言われたときに、「そう言ってくださるのはありがたいですが、それはちょっと無理だと思いますけど・・・」というようなことを、ぼそぼそと言ったような記憶があります(笑)

<田中芳樹 プロフィール>

1952年10月22日生まれ。
1978年、「緑の草原に……」で幻影城新人賞を受賞してデビュー。
1988年、「銀河英雄伝説」で星雲賞(国内長篇部門)受賞。

主な作品に、「銀河英雄伝説」 (1982年〜 徳間書店刊)、「創竜伝」 (1987年〜 講談社刊)、「薬師寺涼子の怪奇事件簿」(1996年〜 講談社刊)、「アルスラーン戦記」 (1986年〜 光文社刊) など多数がある。



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